『鎌倉に聴く』を企画した「伝承企画 貫」 岡 完保代表に聞く
「第五回田中之雄琵琶の会−鎌倉に聴く−『政子流転』」が来る6月7日(土)、鎌倉扇ケ谷「海蔵寺」本堂にて開催されます。開催に先立ち、主催者の「伝統文化を育てる会・伝承企画 貫」代表の岡完保氏に、お話をうかがいました。
(2003年6月掲載)
――「鎌倉を聴く」のそもそもの始まりは。
「平家の鎮魂をテーマにした物語はあったが、源氏の鎌倉をテーマにしたものは皆無に等しかった。鎌倉には文化が意外とない。歴史上名だたる人物が登場していますが、琵琶の歌がない。そこで、『鎌倉に聴く』は、鎌倉にちなむ琵琶の話をつくろうじゃないかと始まった。
地元の歴史に詳しい随筆家の大貫昭彦さんに10年かけてやろうじゃないかと、作詞をもちかけたんです。
また、田中さんは当時、客員演奏をこなしていたが、個人のコンサートは比較的少なかった。琵琶一面で人は集まらないじゃないかとも言っていた。そんなことはない、鎌倉でやってみましょうと後押ししたんです」
――田中さんの魅力は。
「田中さん自身、自身が持つ深み、技能の幅を気付いていなかった。田中さんほど、琵琶の世界を深められたり広めたりできる素養の人はいない。洋も和もできる。また、現代だけでなく古典ができないと本物性が出てこない。その点田中さんはいずれにも通じている。古典も現代もミックスできる、魅力ある演奏家、作曲家である。企画する側からすれば、いかにいぶし銀の田中之雄を作り上げられるかが楽しみです」
――これまでの「鎌倉に聴く」の内容は。
「これまで北条氏の滅亡を描いた『白荻の賦』、頼朝を唄った『白旗の抄』、薄倖だった頼朝の息女をテーマにした『扇谷俚謡』、去年は時宗の一遍上人の『遊行一遍』を上演した。最初の『白荻の賦』は良かった。判官贔屓があるかも知れないが義経と違って頼朝は難しい」
――今回の会についてに寄せる期待は。
「今回初演の『政子流転』について、田中さんは、こう語っています。『今回の曲は詞を読んだ時にイメージがすぐ浮かんだ。詞が作曲させてくれた様な気がします』と。『政子流転』は、琵琶の曲の見られる、おどろおどろしいさや暗さが目立つ曲ではなく出来上がったと思います。
これまでの琵琶の曲のイメージをはるかに越え、情緒漂うどこかなつかしい曲の流れ、撥さばきのメリハリに加え、高度な技法による演奏も全くそれを感じさせないテクニックが、聴く人を魅了するものと期待しております。
また、『政子流転』の曲の中には4つの和歌が入り、男女の幅広い音域での新しい語りによる試みに加え、田中の歌唱力により一段と曲に深みを増しています。
そのほか琵琶二面による、聴き応えのある高度な器楽曲『阿吽』、薩摩琵琶の大御所、鶴田錦史作曲『義経』では、田中の語りを満喫できるものと思います」
――お寺の本堂での公演での苦労話とかありますか。
「演奏する立場からすれば、ホールと違って、お寺の本堂での演奏は、湿気があったりでチューニングが難しい側面もあります。
ですが、ちょうど演奏が終わった時に池の鯉がはねたり、笛の調べにのって、ホーホケキョとうぐいすが鳴いたりと、うまい具合にいい擬音が入るといった経験を何度も体験しています。
演出でそうした擬音を消すこともできますが、あえて一歩二歩と下がって自然のままやってきましたが、それが意外に琵琶とか笛といった楽器は、自然と共鳴を呼び起こす楽器ではないかとわかったんです。風が吹いたり、雨が降ったりとさまざまなことがあっても、すべては雑音にはならないんです。
ある時、小さなお堂で雪の中で琵琶が聴けたらいいね、と飲み会の席で話したことがありました。そしたら、教恩寺で、3月中旬の公演にもかかわらず、本当にどか雪が降ったんです。その時の演目は、『壇ノ浦』で、安徳天皇が「入水」する涙無くして聴けない場面で、一時的に吹雪が舞い、雪風がお堂まで入り込んでくることがありました。紋付袴の田中さんは寒くて大変だったと思いますが、聴く立場からすると、最高の演出を自然がしてくれたんです。琵琶は、自然と一体になる音楽ということを、お堂での演奏会を通して知ることが出来ました。
また、酒蔵での演奏会の時、演奏会が終わった後に誰もいないはずの二階の窓の外から拍手がきこえた。後で聴くと、絵や音楽が好きな人が以前そこで亡くなったというんです。琵琶は鎮魂、レクイエム的な色彩が強いということも実感させていただきました。
琵琶の音色は、聴かせるだけでなく美しさもあり花もある。精神的なもの、浄化させるものがある。ただリラクゼーションのためのコンサートではない、根底にどこか悟り、祈りが芽生える。琵琶の演奏に灯籠を置くのも、ただオブジェではなく会場の空気を浄化させる、その一助になればと、そういう気持ちからなんです」
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