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インタビューなぜ琵琶の世界に? たまたまレコードで、武満徹さんが作曲した琵琶と尺八のための曲『エクリプス』を聞いたんです。それまではギターが好きで、ギターをやってたんですが、ジャズに興味を持って聞き始め、それが民族音楽への興味になりました。 そして琵琶をやろうと思った。その時の苦労は。 やろうと思って、いろいろ探しましたが、どこでどう習ったらいいのか、ほとんど分からない。たまたま乗った電車の中吊り広告に「琵琶」と書いてあったんです。カルチャースクールのたくさんある教室名の中に琵琶があって、渋谷か新宿の教室に行ったら、お弟子さんがいないのでやってませんって言われました。 鶴田先生のところの雰囲気は。 私が入った頃は、だいたい琵琶をやるっていうと、若くてもはたち前後。はたちぐらいの人が習いたいというと、喜んで教えてました。 鶴田先生の琵琶の稽古はどんな感じでしたか。 琵琶には歌の楽譜というものはほとんど無いんです。大きな決まりは、それは文字で書いてあるだけで、歌の節は先生と対座して、先生の歌ったものを真似ていく。それが稽古です。弾く方、手の部分には楽譜があります。 琵琶の修理とかもご自身でやるのですか?良き演奏家は、良き楽器製作者でもありました。「自分の楽器は自分で管理する」、鶴田先生がよく口にしたことです。ですから門下生は皆、ある程度は楽器の修理ができます。サワリを取ったり(付けたり)、コマ(柱)も作ります。 こんな時はこうするという話を聞いて、先生自身がコマを削っているのを見て、我々は覚えていきました。だから、最初の頃は削りすぎてコマを駄目にしたこともありました。いくつか失敗して、だんだん覚えました。ああでもない、こうでもないと工夫を重ねて、楽器の扱い方を身につけるわけです。 サワリを取るために削っていくと、だんだん、だんだんコマは短くなって、全体のバランスが崩れてきますから、その時は新しいコマに取り替えます。琵琶を弾くことは、サワリを取ること。サワリを取れるかどうかが、いい弾き手になれるかどうかを決めると言っていいかもしれません。自分の楽器は自分で管理しなければならないわけです。 鶴田先生は琵琶とオーケストラとの共演を実現しましたが、その際工夫されたことは 先生は、オーケストラや琵琶以外の楽器と共演することが若い頃からの夢でしたが、他の楽器と一緒に演奏するには琵琶の音は小さい。そこで開発したのがコンタクトマイクです。 田中さんが工夫された点は?ボリュームをどうしても大きくしたい、と思うようにもなりました。私にはどうしても、琵琶は音を殺して作っているところがあるように思えてならないんです。琵琶は語りの伴奏楽器として発達しましたので、それほど広くない空間で演奏していたのでしょう。ところが、最近は千人、二千人を収容するホールで、生音を聞いてもらう機会が出てきました。こうなると、音量が小さい。尺八と共演すると、断然、尺八の音の方が大きいのです。『エクリプス』や『ノヴェンバー・ステップス』は調弦自体が低いのですが、昔の人は声のキーが高かったため、弦の張り方が高めの調弦で、低くて鳴る楽器がないのです。 [参考・邦楽ジャーナル1998AUGUST] |
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