インタビュー

なぜ琵琶の世界に?

 たまたまレコードで、武満徹さんが作曲した琵琶と尺八のための曲『エクリプス』を聞いたんです。それまではギターが好きで、ギターをやってたんですが、ジャズに興味を持って聞き始め、それが民族音楽への興味になりました。
 聞き込んでいくうちに、同じジャズでも、白人のジャズ、黒人のジャズ、日本人のジャズ、それぞれ特徴があると気付いたわけです。民族性をジャズを通して感じていって、日本人というものを意識し始めた。ちょうどその時『エクリプス』のレコードで琵琶に出会ったんです。
 ヘンに生真面目に、自分は日本人なのだから日本の音楽を少しは考えなくちゃいけない、という気分になった、そんな時にタイミング良く出会ったのが琵琶でした。

そして琵琶をやろうと思った。その時の苦労は。

 やろうと思って、いろいろ探しましたが、どこでどう習ったらいいのか、ほとんど分からない。たまたま乗った電車の中吊り広告に「琵琶」と書いてあったんです。カルチャースクールのたくさんある教室名の中に琵琶があって、渋谷か新宿の教室に行ったら、お弟子さんがいないのでやってませんって言われました。
 川口にも教室があるから、そこに行ったらどうですかと勧められて、川口に行くと、ここも「お弟子さんがいなくて今はやっていません」と。
 でも、先生を紹介しましょうと、紹介されたのが、薩摩琵琶の石坂南水先生でした。
 南水先生が鶴田錦史先生と行き来していたこともあって、半年ぐらいして「鶴田錦史って人を紹介してあげるから」といわれて、鶴田先生の所に入ったんです。
 最初に琵琶を聞いたのが鶴田先生演奏の『エクリプス』。偶然が重なり、回り回って鶴田先生に出会ったわけです。
 『エクリプス』を聞いた頃、武満さん作曲の『ノヴェンバー・ステップス』がニューヨーク・フィル創立百二十五周年の曲として演奏されることが、新聞に出ました。
 当時の日本のジャズの人は、本場アメリカのプレーヤーと肩を並べる立場ではないような感じがしてたんです。ところが、日本人でニューヨーク・フィルと一緒に演奏する伝統楽器のプレーヤーがいる。ああ、すごい人がいるんだな、と思いました、それが鶴田先生でした。

鶴田先生のところの雰囲気は。

 私が入った頃は、だいたい琵琶をやるっていうと、若くてもはたち前後。はたちぐらいの人が習いたいというと、喜んで教えてました。
 当時、先生は亀戸に住んでらしたんですが、先生の家はまるでサロンのようでした。ほんとに琵琶の好きな人たちで、時には夜じゅういろんな曲を演奏したり、話したりして、先生の家から会社に行ったり、そんなこともあったようです。演奏家を育てる場というよりは、琵琶を楽しむ場という雰囲気でした。
 そんな雰囲気の中に、若い私が入門してきた。定期券まで買ってくれたんですよ。信じられないでしょう。弟子になったら、「あんたね、時間はあるのか」と言うんです。「ええ、あります」と言うと、「来られるんなら毎日、来てもいいから」と、板橋の家から亀戸までの定期券を買ってくれました。
 とにかく先生は若い人が好きでした。先生は若さに可能性をみていたんでしょう。演奏家を育てて、琵琶を盛んにしたいという考えていた。

鶴田先生の琵琶の稽古はどんな感じでしたか。

 琵琶には歌の楽譜というものはほとんど無いんです。大きな決まりは、それは文字で書いてあるだけで、歌の節は先生と対座して、先生の歌ったものを真似ていく。それが稽古です。弾く方、手の部分には楽譜があります。
 鶴田先生の場合は楽譜があるようで、ないようで……。それぞれの弟子に合うような教え方をするんです。ひとつ決まったものを教えるのでなく、この人はこれはちょっと無理だから、もう少し易い手でとか、この人はもっと難しい手でとか。その都度、その都度、そこで楽譜を書いて、教えるんです。
 大枠が変わらなければ、後は融通無碍。薩摩琵琶はもともと、そういう性格がある。きちっと譜面で出来ているものではないんです。鶴田先生は何人かの先生について琵琶を学んだので、こうした稽古をつけたのかもしれません。昔の教え方にはたぶん、そういう融通無碍なところがあったのではないでしょうか。

琵琶の修理とかもご自身でやるのですか?

 良き演奏家は、良き楽器製作者でもありました。
 「自分の楽器は自分で管理する」、鶴田先生がよく口にしたことです。ですから門下生は皆、ある程度は楽器の修理ができます。サワリを取ったり(付けたり)、コマ(柱)も作ります。
 こんな時はこうするという話を聞いて、先生自身がコマを削っているのを見て、我々は覚えていきました。だから、最初の頃は削りすぎてコマを駄目にしたこともありました。いくつか失敗して、だんだん覚えました。ああでもない、こうでもないと工夫を重ねて、楽器の扱い方を身につけるわけです。
 サワリを取るために削っていくと、だんだん、だんだんコマは短くなって、全体のバランスが崩れてきますから、その時は新しいコマに取り替えます。琵琶を弾くことは、サワリを取ること。サワリを取れるかどうかが、いい弾き手になれるかどうかを決めると言っていいかもしれません。自分の楽器は自分で管理しなければならないわけです。

鶴田先生は琵琶とオーケストラとの共演を実現しましたが、その際工夫されたことは

 先生は、オーケストラや琵琶以外の楽器と共演することが若い頃からの夢でしたが、他の楽器と一緒に演奏するには琵琶の音は小さい。そこで開発したのがコンタクトマイクです。
 『ノヴェンバー・ステップス』のように他の楽器と共演するには、太い糸を押さえた時、昔のコマでは微妙に他の楽器より音程が高くなります。そこで、コマの形を変えました。琵琶のコマは一般的に一文字の形をしていますが、鶴田一門のコマは菊水紋のような形をしています。このコマの形は、自分の望む音を追求した先生の工夫が生み出したものです。

田中さんが工夫された点は?

ボリュームをどうしても大きくしたい、と思うようにもなりました。私にはどうしても、琵琶は音を殺して作っているところがあるように思えてならないんです。琵琶は語りの伴奏楽器として発達しましたので、それほど広くない空間で演奏していたのでしょう。ところが、最近は千人、二千人を収容するホールで、生音を聞いてもらう機会が出てきました。こうなると、音量が小さい。尺八と共演すると、断然、尺八の音の方が大きいのです。『エクリプス』や『ノヴェンバー・ステップス』は調弦自体が低いのですが、昔の人は声のキーが高かったため、弦の張り方が高めの調弦で、低くて鳴る楽器がないのです。
 そこで楽器の幅を変え、厚みも長さも変えてみました。そのことで、音量は大きくなりました。この低くて鳴る琵琶は、先生が亡くなる数カ月前にはできあがっていたのですが、結局、音を聞いてもらいませんでした。残念でなりません。

[参考・邦楽ジャーナル1998AUGUST]